柿
朝晩は冷え込む日が多くなり、秋の足音が聞こえてくるようになりました。秋といえば、スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋と様々ですが、今回は、秋を代表する果物の「柿」にスポットを当ててみたいと思います。
【柿の起源】
柿は日本原産の果物といわれ、16世紀頃にポルトガル人によってヨーロッパに渡り、その後アメリカ大陸に広まっていきました。今では、「KAKI」は世界中の人に愛され、学名も「ディオスピロス・カキ(Diospyros Kaki)」、「KAKI」の名で世界中に通用します。
【今の柿はどこから?】
一説には、氷河期が終わった後に中国から渡来したと考えられています。その中国の柿が日本から渡って再び日本に帰って来たものかどうかははっきりしていません。縄文、弥生時代の遺跡から種が出土し、時代が新しくなるほどその量は増えているそうです。また、今のように大きな柿は、奈良時代にやはり中国から渡来したと考えられています。
【主な柿の品種】
○富有(ふゆう)
富有の原産地は、現在の岐阜県本巣郡巣南町居倉といわれています。1857(安政4年)に小倉初衛さんが初めて栽培した柿がすばらしく、その土地の名前にちなんで居倉御所と呼ばれていましたが、同じ村落の福島才治さんが自家の柿に接ぎ木して見事な柿を実らせました。福島さんは当時、盛んに開かれていた品評会で、新品種として世に問うことを考え、「福寿」「富有」のいずれがいいか迷った末、古典『礼設』中にある「富有四海之内」の言葉を採用して「富有」と命名しました。名声があまねく天下に広がることを願ったものでしたが、出品した1898年(明治31年)の柿品評会では一等賞を受けました。甘柿全体では11万686t生産されていますが、そのうち富有柿が60%を占め、南は九州から北は新潟県まで広い地域にわたって「甘柿の王様」に君臨しています。
○次郎
1844年(弘化元年)、静岡県周智郡に住む松本次郎吉さんが太田川を流れている柿の幼木を拾って、植えたのが始まりと伝えられています。この原木は火事で焼けたものの、焼け株から新芽を育成させて、現在は町の文化財になっています。柿のファンは派閥がたくさんに分かれます。甘柿派、渋
柿派、そして甘柿派の中でも富有派、次郎派が二大勢力です。「上品な風味で、あのコリコリした味わいがなんともいえない」というのが次郎派の
代表的な見解だと言われています。次郎は、富有につぐ栽培を誇り、愛知県と静岡県が東西横綱として生産量1万501tの80%を占めます。
【柿の栄養】
柿の成分で特筆できるのは、何といってもビタミンCの豊富さです。酸っぱいイメージのビタミンCとはちょっと意外かもしれませんが、甘柿に含まれているビタミンCはレモンやイチゴに決して負けてはいないのです。他にも、ビタミンK、B1、B2、カロチン、タンニン(渋味の原因)、ミネラルなどを多く含んでいるため、「柿が赤くなれば、医者が青くなる」という言葉があるほど、柿の栄養価は高いのです。また、「二日酔いには柿」といわれている訳は、ビタミンCとタンニンが血液中のアルコール分を外へ排出してくれるからで、豊富なカリウムの利尿作用のおかげともいわれています。
【柿の上手な切り方】
柿を生で食べるときの切り方は、ヘタの周りを少し大きめに切り取って、縦切りにすると、柿の甘味が均等に分配されます。というのは、花落ちと呼ばれる部分(ヘタの反対、花ビラが付いていた部分だから花落ち)と種の周りの甘味が強く、ヘタに行くほど甘味が薄くなるからです。
柿は映画、小説、和歌など様々な文芸にも登場しています。
【文芸に登場する柿】
○寅さんと渋柿
誰もが知っている映画である「男はつらいよ」。この映画の中にも柿を食べるシーンが登場します。72年製作の第10作「寅次郎夢枕」では、木曽路を旅する寅さんが、道端の柿の木からひょいともぎとって口にするシーンがあります。これが、とびきりの渋柿で、寅さんは渋さにとびあがるというもの。秋の夕暮れに、山寺の鐘が鳴り、寅さんのさすらい一人旅の哀感がしみじみと伝わってくる名シーンでした。
○和歌、俳句
柿の実のあまきもありぬ柿の実の渋きもありぬ渋きぞうまき (正岡子規)
隣る家もその隣る家も柿たわわ(高浜虚子)
里古りて柿の木持たぬ家のまし(松尾芭蕉)